ここのところ、大愚和尚のYouTubeを見ている。
大愚和尚の一問一答というもので、和尚様に寄せられる悩みに答えていくというものだ。
実にさまざまな悩みが寄せられる。
過去に囚われれて自分自身を傷つけてしまう人。
家族や夫婦の仲がうまくいかず悩む人。
仕事を失い、借金に苦しむ人。
悩んだ末に病に苦しむ人。
そのような人に優しく語りかけ
処方箋として、考え方、生き方を語りかける。
私自身もずっと悩み続ける一人なのだが
そろそろもうこの生き地獄のような苦しみから逃れたいと
探しているうちに、ここに辿り着いた。
そして、いくつもいくつも一問一答を見ているうちに
苦は周りが作り出しているものではなく
自分自身の内面に宿っているものだということを教えられた。
仏教は、苦しみを手放すという教えだと云う。
かの一休さんがうたった句に
「夜もすがら 仏の道をたずねれば 我が心の道をたずねいりぬる」という句がある。
真理を求めて、夜を通して仏教の道を探究したのだが、
辿り着いた真理は自分の心の中にあったという句である。
自分の心の有り様が真理であり
苦しみがあるのであれば、自らの心の有り様が生んでいるということなのだ。
日記に、もう何年間も苦しんでいる、何がいけなかったのか、
自分を追い詰め、妻を追い詰め、どうやってこの状況から抜け切ればよいのか、
わからない、わからない、考えてもわからない。
やる気を奮い立たせても、すぐに不安や現実が自分を押し潰そうとするのだ。
どうしたらいい、どうすればいい、教えてほしいと書き殴った。
そんな矢先に
「苦しみは自分の中にある」と大愚和尚がそう言っていた。
人生を取り戻すのだ、と言葉を変えて、自分を奮い立たせていたのも間違いだったと気がついた。
もう何もかも手放して、取り戻すのではなく、執着しているものを捨てて、
新しい人生を生きる覚悟を決めることだと気づいた。
もうそろそろ荷物を降ろす時が来たのだ。
自分が守り続けたプライドや頑なな思いも肩から、手から降ろしてしまうのだ。
もしも、欲が浮かびそうになったら
その欲を鎮めて、自分と周りの人が益する方向へ心を変え
新たな苦を生み出さないように注意して生きて行きたい。
それが新しい人生を生きるということなのだから。