朝の5時過ぎまで、一度も目も覚まさず寝ることができた。
こんなことは何カ月ぶりだろう。
トイレを済ませて眠るのではなく瞑想をした。
少し頭に浮かぶものがあったが、慈悲の言葉を唱えた。
一通り唱え終えて、目を閉じ続けていたら、ふと義父のことが頭に浮かんできた。
義母が突然亡くなってから
すっかり弱ってしまった。
もともと腰が悪かったから、ひとりになってしまい不自由な生活に
身体も心も弱ってしまった。
義母が亡くなってから半年後、後を追うように亡くなってしまった。
なくなる少し前、入院したが、苦しかっただろう、寂しかったのだろう、と思う。
義母が自宅から火葬場に運ばれていくとき
玄関先で椅子に座って見送っていた悲しそうな義父の横顔が
今も目に焼きついている。
目をそらすこともなく、ただただ運ばれていく様子を見つめていた。
義父はだんだん弱っていって、とうとう入院した。
実家は少し離れていたから
私はお見舞いにいくこともなかった。
妻はときどき見舞いに行っていたな、どうしていっしょに行ってあげられなかったのだろうか。
そう思って朝食を終えて妻に
瞑想をしていたときに、お父さんを思い出したことを話した。
すると妻は、あのときはしんどかったなぁ、と言った。
よく聞けば毎週のようにお見舞いに行っていたらしい。
どうして私がいっしょにいかなかったのだろう、と尋ねると
すごく忙しくしていたと言う。
仕事に追われて、余裕がなかったようだ。
義父が亡くなったときには
「何をしていいのかわからない」と情けないことも言っていたらしい。
相当、妻を失望させたのだろう。
それから葬儀の準備をしている間も
始終携帯で電話をしていたという。
あの頃、今では思い出すこともできないくらい忙しかった。
とは言え、人の死という大切な場面で
せめて、誰かに仕事を代わってもらって
「何かできることはないかな」と思いやりの言葉をなぜ言えなかったのだろう。
義父に対して
今までの恩に報いる行動、言動がなぜできなかったのだろうか。
このような繰り返しが自分と妻の信頼関係を崩してしまっていたのだ。
今更になって、深く反省した。
まるで、人の道、道理を知ったつもりでいたが
実は何も知らない無知な人間だったのだ。
いまの苦しい毎日が巡ってくるのは
自分の「身・口・意」が業を重ねたことによるのだ。
死ぬ前に気づくことができたのがまだ救いと思うしかない。
二度と同じあやまちを繰り返さぬよう、今、この時から思い直して生きていこうと誓った。