仕事で必要なものを探していた。
似たようなものがいろんな会社から販売されていたが、かなり値が張るもので、もしかしたら予算内で販売しているところはないかと、あちこち問い合わせのメールを送ったりしていた。
中にはカタログや概算を返信してきてくれるところもあったが、思ったような価格ではなかった。
もう一度、本当に必要かどうか自分に問いかけてみた。あったらすごく助かるが、よく考えたらついこの間、思いついたことだったし、思い通りの価格でなければ、一旦、諦めてはどうだろうか。そう思った。
以前の私だったら、ずっと頭から離れず、何度も何度もカタログを見たりしていただろう。もちろん、寝る時にも考えていたり、スマホで検索し続けていたり。
昨晩は、妻が早く床に就いた。寝る前に無理に瞑想することはやめて、すぐ寝ることにした。
少し夢を見たようだった。1時近くにいびきをかいていたらしく、妻に起こされた。ごめん、と言ってまた眠った。朝方4時にうつらうつらしたが、また寝た。そして6時に目が覚めたので瞑想をした。
頭に余計なことは浮かばなかった。昨日練習した、ブルクシャアーサナのインストラクションが浮かんできて、一度だけ頭のなかで追いかけた。そして、慈悲の言葉を唱えた。
以前だったら、仕事で必要なものが頭に浮かんで来たのだろう。それがなかった。自分で遠ざけたわけでもないが、あまりモノに対する執着がなくなっているように感じた。
瞑想をするときは、適切な場所、静かな場所がよいとされている。「物理的に遠離する」からなのだそうだ。
「心が遠離する」ことも必要だ。瞑想に心の荷物を持ち込まないようにする。仕事や、争い、けんか、計画など一緒に連れて座ってはいけない。ましてや執着は心をざわつかせる。欲があれば執着を生む。渇愛があれば執着が生まれる。頭の中で頻繁に考えているときは、心がそれをつかまえている。つかまえているものは心にとどまりつづける。
そのようなとき、知らず知らずに心は疲れ、そしてつかまえることができないと知ると落ち込んでしまうのだ。だから、早めに忘れる必要がある。思考を認識して手放すのだ。思考をそのままにしておくといつまでも離れられない。
五蓋のひとつ「欲」に少し煩わされることが減ったぐらいでは、まだ禅定に辿り着くことはできない。