完璧な人はいない。
だから、完璧な家族というものもないのだ。
誰にも多少の欠点はある。
ずっと胸に抱いてきた違和感の答えがようやく理解できた。
ある日、相談があると兄貴がたずねて来た。
だいぶ前に親父が購入したお墓のことだった。
両親は二人とも健在だが、すでに90歳を過ぎている。
最近、親父はボケが進み、少し前のことも忘れてしまうようになってしまった。おふくろは、3年前から肺がんと診断されているが、歳のせいか進行が遅く、まだ元気だ。膝がときどき痛むらしい。
両親は数年前に自宅近くの寺に墓地を購入した。
いまだに墓石は建てていないが、区画になっている土地を購入したのだ。当然、そのお寺の檀家になったということだから、まだ誰もお墓には入っていないが、お寺の修復工事があるとかでお布施を払っている。
兄貴は、最近、知り合いからお寺と揉めたという話を聞いたらしい。いろんなことでお金を支払うことが多くなったらしく、お寺と揉めて無理やり檀家をやめたという。
その話を聞いて、次男である私に相談しに来たというわけだ。
話を聞くと、いずれ自分が住んでいる家の近くに墓を移したいと考えているらしい。私はそれを聞いて、どうして親父が購入するというときに話をしなかったのかと尋ねた。実家でも、兄貴に相談したのかと両親に聞いた記憶がある。
親父が決めたことだからと兄貴は言うが、墓を移すことはそんな容易なことではない。いやまだ、誰も入っていないのだから、まだ手はあるのかも知れない。兄貴は、家の近くに相談できる住職さんがいると言う。私はお世話になろうとしている住職さんに相談して、それからおふくろと話をして、なんとか今のお寺さんにお願いして、兄貴がしたいようにするのがいいのではないかと話した。
お墓は、義理のお姉さんや子どもたちにも深く関係することなのだから、おふくろもわかってくれるだろう。
しかし、私の心配をよそに、兄貴はあまり深刻に考えていないようだった。というか軽く考えていた。
状況が変わったらまた来るよ。と呑気な言い方だったので、いや、万が一になる前に、少しでも早く動いた方がいいともう一度強く言った。
数十年も前の記憶が蘇ってくるようだった。中学や高校になって、自分も理屈が言えるようになってきた頃、親父や兄貴と話しをするとはっきりとした結論もなく、ただあーでもない、こうでもないとよくはぐらかされるような展開になったものだ。どちらかというとはっきりした意見をいう自分に対して、こんな考え方もある、こういう場合もあると。だからどうなのということもないのだ。
次男だからしょうがないのかなと思っていたが、親戚の家にもほとんど連れていってもらったこともなかったし、墓参りにもほとんど行ったことがない、お年玉もごくごくわずかしかもらったことがなかった。
決して余裕のある家でもなかったから、仕方がないと思っていたが、自分だけ幼稚園には行かせてもらえなかったし、兄貴や妹は習い事に行っても自分は通わせられなかったし、小学校の時、土曜日のお昼は500円ぐらいを持たせられて、いつも駅前の立ち食いそばで済ませていた。
別に不幸な生い立ちではないけれど、愛されている実感が薄く、そのせいか、大人になっても誰かに愛されたいと渇望する気持ちが強かった。
ただ、わかったのだ。愛されていなかったのではなく、家族がひとりひとり関心が薄く、無知だったのだ。
だから、大切な墓の話も深く考えずに、ここまで来てしまったのだろう。
人間の「死」は、その人の「生」を表すと言う。
生前抱えてきた人生の問題が一気に噴き出すという。
親父は兄弟が多い。その末っ子で、親父のお父さんは生まれた時にはすでに亡くなっていた。
病院に連れていったときに、治療をいやがって暴れたとき、ボケた頭の中から「オレは親父がいないんだ」という言葉が溢れ出た。一生、それを引きずっていたのだと思った。
もうひとつの問題は、その悲しみを跳ね返して、自分が自分の父親だったら、自分の父親はこういう人なんだと、多少間違ってもいいから思い切り、自分が父親を生きることをしなかったことだ。子ども3人を育て、一生懸命だったのだと思うが、もっと深く関わることができたら、もっと助け合う家族になれたのだと思う。
今まで自分が抱えてきた心の中のわだかまりは、これだったのだと気がついた。
しかし、どん底になっている今、ようやく怒りをもっても何も生まれないことにも気がついた。後悔するのではなく、今までしてきた行いを反省し、二度と繰り返さないようにすること、それしか道はない。
ずっと抱えてきたわだかまりをそろそろ手放すときが来たのかも知れない。
すべてをゆるし、手放すときがきたのだ。それは自分をゆるすことでもあるのだろう。生きている間に気がつけて本当によかった、本気でそう思っている。